豊田騒動を思う

11月に入ってから、全く更新していなかった。ブログさえ面倒に思っているのはさすがにどうか・・・。

さて、先日の201系廃車回送における騒動について。今回も大暴れしていた「葬式鉄」と呼ばれる人達は、イベント車両や事業用車が走るとかいうときに出てくる連中と同じではないかと思うが、普段から撮影している人はどのくらいいるのだろうか?日常的とまでは行かなくても、通常の状況で撮影する人間がいるのかどうか?そこまではわからないが、廃車回送は何があっても1回しか行われないものであるという動機なのか、なぜ混乱し得る状況でも撮影に乗り出すのだろうか?

個人的で短絡的な考えではあるが、これは「自分の子供のことしか考えられない親」に近い心境*1なのではないかと思う。何が何でも写真に残そうとするから発生する問題で、運動会で応援そっちのけで我が子を撮影している父母と共通するところがあると思う。もちろん愛着や心情の段階としては大きく異なるものだし、(夜の)鉄道相手では安全面でも格段に危険であるため、完全に同一に捉えるわけにはいかないのだが、「周囲に関心がない」という点では一致するところもありそうだ。

今回の201系の回送では、車両限界の関係で「上越線を機関車牽引で回送」となったわけだが、今まで201系を機関車が牽引するケースが無かった故のトラブル発生だろうか。というか、そんなに機関車牽引が好きか?日常的に見られないなら仕方ないのかもしれないが、そんなに撮りたいなら、越後平野でも行けばいいと思う*2。真っ暗な駅で撮影してても迷惑にしかならないし。仕事?あるなら撮りに行くな!

それにしても、機会にこだわると碌なことにならないことが学習されないのは不思議である。特別な獲物がなくても遠征している人間の感覚はこんなものだろうが・・・。

11/14追記:「暇人に撮影の権利はない」なんて意見も出ているが、最初に構えていた人が無視されてしまった点が発端のはずなので、仕事の有無は全く別の話。遅れてきても、撮影を諦めず、迷いもなく最前列に出て撮影しようとする姿勢が問題ではないだろうか。

*1:生活とか教育の話という意味ではなく、主体を被写体としか考えていない状況

*2:とかいうと、今度は青海川辺りが大変なことになりそうだが・・・