自分のことを考えられるか

現実逃避と言ってしまえば一言で済むのだが、この言葉は使わないでおこうと思う。
こんなネタばかりで自分でも気持ち悪くなってきたが、もう少し書かせてもらう。日常の中で重要なこと(〆切とか試験とか)が自分のこととして捉えられているか、という点を考える。私はなぜかこの手のものの前に必死に練習に取り組むという習性がなく、教科書やノートに齧りつかずに暢気に遊んでいることが多いのだが、これを自分でも心配していたりする。以前の単位大量放棄のケースを改めて考え直してみても、「とても授業どころではない」という気分と相反するように、「これだけ放棄したら後々支障するぞ」という思考も働いていた。「これは大した問題ではない」と思っても失敗を想定して取り組めないとか、「どう考えても危険性が高い」と思ってもあまり難しく考えないで、危険な行動を取っていることも*1

どこかで正確な判断がなされているのに、その判断が行動に出てこない例。

  • 質問した途端に答えがわかる。
  • 危ないと思っても無意識で手を出す。
  • 柔道で受身ができない。
  • ゲームで判断に関係なく打ち続ける。
  • キーボードを見て打っても間違いが出る*2

結局落ち着いて行動すれば回避できそうなことばかり。
考えずにやっているほうが上手くいっている例。

  • 測定されると記録が落ちる。
  • 手足の連動が上手くいかない。
  • 撮影で瞬間を押さえられない。
  • 説明通りに料理を作ると上手くいかない。
  • 文章の作成がスムーズに進まない。

自分の感覚を活かせるなら活かしたいところ。

なんだか正確な判断が自分から乖離した状態とでも言うのか・・・

*1:さらにもう一面あることがあり、それはまた改めて肯定、もしくは否定するものである。

*2:基本的にその場で修正する。母子音がずれていることや、隣のキーを打っていることが多い。