自分が好きでいられるか?

ちょっとした会話の中から生じたこの疑問。自分の欲望に忠実であるかどうか、というのかということなのだが、正直に言うと、今は自分のことを不満に思うことも多い。自分を誤解しているかもしれない、失敗した場合のリスクの高さを計算しているという点に恐怖を覚えているように思う。
で、何が不満かというと、鉄道以外の多くの分野を享受する自分。特に「楽しむ」という点においては、その前の恐怖が乗り越えられないままになっている部分に不満がある。ジェットコースターがいい例で、20歳を過ぎても未だに乗りたいと思えないままになっている。他に入り込めないものの代表格は、物語的要素。しっかりと読み解く前に、「拘束される」と思って放り出してしまう*1。そのくせ報告や新書の類は平気どころかのめり込めたりすることもあるので、よほど興味が湧かない限りは放り出そうとは思わなくなる*2。最近になっては、鉄道模型の工作さえ億劫になっている有様で、開封こそされているものの、全く手が着いていないものも増えてきた。
興味はあっても、体裁に合わないと考えて、表面的には手出しをしないものもある。こういうものは意識して保存をするとか、ユーザー登録をするとかはしないで、保存しないサンプルだけで我慢していることが多い*3
これ以外にも、興味は持ったものの初期投資ができないまま流れてしまったケースや、興味が続かないと判断して流しているものもあり、現在は鉄道趣味以外の分野への投資は激減。高校〜浪人の頃に異常なまでの浪費をしていたのが裏目に出た格好になってしまった*4
行動様式を固定できないままなのも、正直に言って辛いものがある。迷いが出てしまっては様にならないのだが、そもそも「行動様式」なんて考えた時点で負けているのかも知れない・・・。
とりあえず、自分でも目だって気になるところを書き出してみたが、こういったことを気にし過ぎる私も嫌いといえる。なんだか自己批判スパイラルに陥ってしまいそうで、我ながら怖いものである。そのうち肯定要素も書き出してみようか。

*1:高校卒業までは、それなりに物語形式のものも読んでいた。学校に拘束されていても、楽しめる要素が入っていれば、それなりにやるものである。

*2:残念ながら、読みかけで中断したままのケースはあるが。

*3:履歴を使わないのもこういった理由による。私には直接通い詰める必要もない。

*4:背後には、当時大量に買い込んだ音楽CDが、今以て開封されないまま山積みになっている。SDプレイヤー導入の目的は達成されていない。