継続意識と後ろめたさ

  • 修復することへの意識の弱さ

一度劣化したものは継続できないという心理でも働くのだろうか。以前は皹の入った筆記用具を使わなくなるという習慣があったのだが、最近はそれ程でもなくなってきた。人間関係でいうと、無理やり関係を修復しようと思わないといったところか。

  • 安易な脈の放棄と無謀な封印

これは、私自身が不快なことばかり記憶しているせいなのかもしれないが、わざわざ昔の人間関係を継続したいとは思っていない。高校の途中までは、安易な冗談等にも敏感になり過ぎていたこともあったこともあり、あまり思い出したくないものがあったり。そういった記憶や、背後にある買い溜めたCD群が無謀な封印であるが、今となっては触れたくもならないので、このまま放置か。

  • 何でも義務感が襲ってくる

楽しんでいたはずだったのに、突然楽しめなくなってしまうことがある。このブログでちょっとしたオンラインゲームを紹介したが、次第に遊びという認識が抜けて、構想を実行に移せなくなってしまった挙句に、遊ばなくなってしまった。強要しようとする意識だけが残ってしまうためか、未だに頭の中に構想が残っている。

自問自答

  • 話題を柔軟にはできないのか?

できるとは思うが、次第に閉塞的なっていくと思う。

見ての通り、初期は本来の意味でブログ。捕捉を恐れてしまった故、今のような格好になっている。編成表を別ページに切り離した現在、ほとんど駄文ばかり。
はっきり言ってしまうと、*1表面化できない(しない)ままになっている分野があり、それらの表面化が今後の課題。

*1:自分が楽しんでいても、それを紹介したくてしょうがなくても、元々の意思にそぐわない分野なら、確実に自制しようとする意識、思ったままに出てこない表現力、そして捕捉を恐れる心理状態、これらの押さえ込みで、