どうして代表不振=リーグ不振?

  • 世間を騒がせたいマスコミ

さすがにこのところ沙汰止みにはなってきたが、サッカーW杯での日本代表があまりに不振だったこと*1において、マスコミの非難があまりに激しかったのは残念である。試合に勝った負けたで論調を変えるのはどうみても不自然。最初は有利な点を強調して報道したり、対戦相手の穴を指摘したりするが、いざ負けたとなると試合には直接関係ない選手個人のスキャンダルを持ち出したり、ひたすらチーム内の粗を探したりとやりたい放題。さらに勝ち負けに関係なく、対戦相手に関しては基本的に敵扱いで、ほとんど賞賛もしない*2。適当な大物がいればそれに特化してしまうのは仕方ないにしても、無理やり脅威を探し出してきたようなケースもあったりするし・・・。
さて、マスコミの代表叩きは、代表だけでなく日本サッカー全体にも矛先を向けていたりするから怖い。具体的にはサッカー協会会長の辞任要求や選手の育成に関する注文などがあるが、その中でも私が特に違和感を感じたのが、日本におけるサッカー人気が凋落するのではないかという危惧である。はっきり言ってそれとこれは別の問題のように感じる。確かに代表中心で動いている人には、落胆して応援する意欲を失ってしまった人もいるであろう。しかしプロのクラブチームに限っていえばある程度人気があって、地元に定着できているかという要素が大きいので、代表とはまた別に誇りを持っている人が多いのではなかろうか。

  • 選手における代表での質

サッカーに限らず、各国の代表とはその国の国籍を有する人の中から、その競技に長けた人物を選び抜いて組成されるものである。大袈裟にいえばその国の代名詞ともいえる存在でもあり、その国のその競技の実態が明らかにされる存在でもある。その実態があまりよくないと思われざるを得ない状態に、今の日本サッカーは置かれている。ただ、冷静に考えてほしいのは、この評価はあくまで代表を評価する上でのこと。基本的にクラブチームの運営には特別な影響があるわけではないし、あるとすれば選手の質の向上というところだろうから、むしろ代表の支えになる存在になる必要がある。プロのリーグが代表人気ばかりを当てにする必要は必ずしもないし、そもそも代表に選ばれる選手がいなくても強いチームは強い。
さらにいうと、サッカーを始めとした団体競技(特に球技)の代表は、悪く言えば寄せ集め集団であり、相性の良し悪しという点もあり、必ずしも所属クラブでの実力が発揮されるわけではない。単純に能力の高い選手だけを集めても、下手をすると軋轢が生じてかえって悪い状態に追い込まれるということもある*3。そういうわけで、クラブでの選手個人の出来だけで代表選手を選考することはリスクも大きいわけだが、これには新陳代謝や選手個人の精神状態という面での保証ができないが、そこが監督の腕の見せ所であろう。

  • 代表の観衆とクラブの観衆

 さて、観衆(=サポーター)の存在である。あなたは代表とクラブの観衆の質の違いを理解しておられるだろうか?
これが区別できていないのが便乗して騒ぎたがる日本のマスコミで、「Jリーグまで凋落」とか騒ぐ原因ではないかと思う。
この問題に関する典型的な事例としては、2002年のW杯で北海道警がフーリガン対策で札幌市内に厳重な警戒網を張ったという例がある。これはたまたま札幌で試合をすることになったイングランド代表に、フーリガンが付いてくるのではないかという不安があったからであるが、そもそもフーリガンとはクラブの試合に現れる暴徒*4なので、代表とは無縁な存在である。この場合はマスコミではないが、何か混同していると思わないだろうか?
一般的なクラブの観衆はそのクラブの存在に誇りに思っている。そのために、そのクラブの試合には積極的に足を運び、全力で応援する。フーリガンもその延長線に置くことができる。
一方で、代表の場合は国家の代表として評価されるというものである。そのために、特定のチームを応援していなくても、国民としての誇りを持っている人は熱心に応援するようになる。この「特定のクラブを応援していない者」という存在が、競技の人気に対する評価を左右してしまっている可能性が考えられる。中には「普段その競技には興味がない者」もおり、お祭り気分で応援の輪に入っていることも十分に考えられ得るので、盛り上がり方が大きくなるのではないだろうか。
もちろん代表においても、クラブにおいても、新規にその競技の観衆を得る絶好の機会としては機能しているが、構成方法が異なる以上質が違ってくるのはどうしようもない。クラブの場合は誰かが出資したり、人材を確保してできるものであり、主にそれに興味を持った者*5がそのまま観衆として定着することが基本的なパターン。
代表の場合、(構造的に)国ごとの競技協会が国を代表するチームを作る。基本的にクラブとは利害関係はなく、多少の例外はあるものの、その国の国籍を有している者であれば、誰を選ぶことも可能である。実際には特に競技力が優れている選手が選ばれるので、その競技に人気がある場合は、多くの場合その選手を応援する者は興味を持つことになる。人気のある彼らが集められたチームができた時点で同好の注目が集まり、選手にも応援する者にも所属という枠はなくなり、純粋な国の代表チームとなるのである。そして競技力のある彼らに魅了された一般国民がそれに惹きつけられ、熱心に国の代表を応援しようとすると考えることができる。

  • その競技の実態を理解できるか?

上記にある「普段その競技には興味がない者」の話。ここでは単に一時的な人気に便乗している者と考えるとしよう。彼らにとっては、日常の競技も国別対抗の大会も関係ないのだろうか。一連の報道志向には、彼らの存在が大きく影響しているのではないだろうかと考えてみよう。
具体的にいえば、「マスコミの煽りを受けて騒ぎ出した者」。マスコミが騒ぐので面白そうだとサッカーの日本代表を応援してみたら、期待外れの結末で頭に来ているといったところか*6。この場合、今まであまりサッカーに興味のなかった大衆が知識不足のまま騒いで、実力やら何やらを完全に無視して騒いでいる。98年のフランスW杯の頃の構図である。あれから8年、大衆のほうにはだいぶ知識が付いてきたようだが、マスコミは相変わらず馬鹿騒ぎ・・・。しかも相変わらず普段は興味のない者がいる訳で、こういった者がマスコミの騒ぎに飲まれて落胆する羽目に遭うのだろう。

  • 結論

いろいろ考察してみたが、やはり代表戦の場合は普段興味を示していない者も盛り上がっているのが、騒ぎの規模が大きくなる原因であろう。国民(あるいは民族)としての誇りを駆り立てるという要素が、代表戦を盛り上げる必須要素となるのは古今東西変わりないことである。もちろんクラブにおいても同様に言えるが、規模次第では影響力が小さいということも十分あり、普段から大騒ぎしている者はそう多くならないのであろう。この場合、普段からチームに慣れ親しんでいることが大きな要素であり、様々な面から注目を浴びる代表とはまた違った方向から興味を持たれる訳である。
マスコミはこういうことはどうでもいいと思っているに違いない。

*1:放送権を買い取ったほうが試合時間を操作したという噂もあるが、それはまた別の機会に。

*2:日本語が単一(厳密には完全にそうとも言い切れないが・・・)民族言語であることが、それに追い討ちを掛けていると感じている。

*3:ロマーリオに代表される事例として、特定選手の特別扱いが軋轢の原因となることもある。この場合は、必ずしも選手は能力で評価されていないということになる。

*4:応援するクラブチームに誇りを持っており、それを種に相手チームのフーリガンと喧嘩をする。W杯で氏名手配されるような暴徒はそれとは異なる存在と考えられる。

*5:クラブはそういった者に興味を持たせる工夫をする。特にその所在地の者が多い。

*6:日本の場合は未だにこういう人がいてもおかしくないような気が・・・。