資金力の格差

 もうひとつ、球界で物議を醸しがちな問題。どうして野球はクラブ間の資金力格差に煩いのだろうか?という疑問もあるが、そこまでは考えきれないので、自分がわかる範囲で考えを膨らましてみた。
 何の世界においても資金力の強弱はある。それはスポーツの世界においても確かであり、資金が潤沢なところと貧乏なところの差は確実に存在する。ただスポーツ界では精神的な部分の問題などもあり、弱くても弱いなりに潰されずにいられることも多い。
 サッカー界においても資金源の強弱はあり、当然資金力のクラブ間格差はあるが、そういったクラブが無いと、大金を出して大物が呼べるところが無くなり、全体のレベルも上がらないし、そういった興味を持つきっかけが無いと当然客も来ないので、サッカー界ではむやみに資金力の調整などしないことが当たり前である。だからこそチェルシーバルセロナの存在が許されるわけで(選手間の連携に問題があったり、あまりに弱かったりすれば話は別だが)、強豪は強豪として君臨していても何も問題は無いわけである。弱いクラブも地元に定着できるよう努力して集客力の確保に努めるわけで、さらに強豪チームとの対戦で集客が期待できる構図ができる。資金は可能な範囲で確保しておけば、大物は無くとも試合の面白さや対戦相手の誇張などで、客を定着させることができる。さらに強いクラブとの対戦ならば、相手側の客でも入場者数を確保できる。
 かつて読売が本当に強かった頃のプロ野球セントラルリーグはこのサッカーと同じ構図で動いていたわけであり、むしろこの状況のほうが適正だったのではないかと私は考えるのである(今の読売の補強はチーム強化というより大物選手の陳列であるから、この効果が働かない)。それでもパシフィックリーグのほうに強豪が際立った強豪クラブが無い状況は当時からそうであったわけであるが・・・
 サッカーは、今年のJリーグがそうだったように、移籍情報がシーズンオフの大きな話題として存在する。アマのクラブがプロに昇格することが可能だし、アマの有力選手がプロに引き抜かれることことなどもある。さらにプロで活躍できなくなった選手がアマに降りてくることも当然のようにある。また、外国人には出場枠があるが、それは確実に自国の選手に出場してもらうことで、継続的なチーム強化や観客が選手に馴染みやすくできるという効果があると考えられる(旧植民地の国の選手や、その国の市民権を得ている外国人選手には例外もある)。
 上記の通りサッカーではクラブ間の資金力の格差は特に問題にしない。そのためクラブの資金力によって、獲得できる選手のレベルに差が出てしまうが、サッカー界には「身の丈経営」という考え方があり、資金力が弱くてもその資金力で可能な補強をすべきという考え方である。日本ではかつて横浜フリューゲルス消滅という一大事があってから定着している考え方である。この一件があって以降国内のクラブは無謀な補強はしていないようだ。
 野球のシーズンオフの大きな話題は移籍と並んで契約更改がある(当然サッカーでも契約更改はするが、話題になるのはあくまで大きなクラブの超大物選手に限られる)。即ち年俸である。大物選手の推定年俸が幾ら上がったの下がったのという話題である。これはそのまま年俸総額がチームの判断基準になるということである。だから資金力の均衡を図ろうという力が働くのだろう。これはやり過ぎると競技そのものがつまらなくなってしまう危険も孕んでいる。
 資金力を調節して戦力の均衡が図られ過ぎると、チーム間の実力格差が無くなりどこと対戦しても特段大きな集客効果が期待できなくなってしまう。チームの個性が殺されて試合の面白さも削がれてしまい、客足が遠のくというデフレスパイラルに陥ってしまう危険もある。弱いチームは客足が遠のくだけで運営が危機的な状況に陥り、下手したら消滅ということになりかねない。利点は接戦が増えて面白いといったところだが、これも毎回のようだと見るほうの心臓に悪い。
 まだ実際にここまでの状況に陥った競技は無いようだが、変に戦力の均衡に囚われるのは効率化重視のアメリカ人的な考え方なのだろうか・・・